飛ぶ鳥の献立

かく在りき 書くに溺れし 持て余す惰性と付き合うため

憩に浸る

 兎に角、珈琲屋が好きである。華やいだカフェのような場所では無く、古き良き所謂“喫茶店”だ。最寄の駅前には2つの行き着けを拵えている。顔を出せば決まって近住であろう御年寄が週刊誌や競馬新聞などに興じ、其々の生活を垣間見ることができる。この自由な空間もとい雰囲気が好きなのだ。安心、安息、寛ぎ、得る感覚は筆舌し難い。先輩に習いソファー席にぐいと腰掛け、私も自由な時間を過ごす。コーヒーは400円と懐が痛いが、場所代だと思えばまだ一考の余地がある。舞台稽古の最中であれば台本の見直しや台詞覚えに時を費やす。公演が近づくとほぼ缶詰になる。カップをソーサーに置く音や他客の会話などの雑音が返って心地良い。急ぐ用事のない場合は、思慮を巡らすと言う名のぼっうとする時間に充てる。早速役に立つ訳でも無いが、そのうち必要とならんアイデアばかりが思いつく。意味無しとこき下ろす方も多々いらっしゃるだろうが、どうしてか私には“そのうち”が来るのではと思えて仕方が無いのだ。

 淑女が共に住み始めてからは、偶の一人を楽しむ場となった。理由がある訳でも無い。しかし誰でも思い当たる節があるだろう。言うなれば私にとっての秘密基地である。何度か同伴の所望はあったが秘密なものは秘密である。いつでも基地には私だけの時間が流れる。